黒姫の森ークマハギに遭遇(2005.6.28〜6.30)












昨年、偶然黒姫の森を手に入れた。
C・W・ニコルが黒姫に「アファンの森」を創り、後世に自然の森として残す試みをしていることは知っていた。
彼の生き方を尊敬し,著作を愛読していた私は、何れ私もそのようにしたいとは思っていたが、金もない無名の私が出来るわけもないと諦めていた。
たまたま雑誌で黒姫山麓にアファンの土地の1割程度が売りに出ていることを掴んだ。
私のささやかな貯金をはたいて衝動買いしてしまった。
その森は長野県と新潟県の県境で、関川に接する黒姫山麓だった。標高は約800mでほぼ平坦だった。
しかも4m道路に接しており、大きな杉の木も沢山あり、白樺やトチの木等雑木林になっていた。
又、敷地の裏側は谷川に200m程接しており岩魚や山女も釣れそうだった。
なによりも嬉しかったのは、敷地の中に泉があり、その水が美味しかったことだ。
私はここにC・W・ニコルの「アファンの森」を真似て小さな「かわせみ黒姫の森」を創り、後世に自然の雑木林として、動物たちが住める森を残したいと思った。

昨年は2回訪れたが、敷地境界も全容は分らずじまいだった。
夏シーズンの山行きがほぼ終わり、黒姫に行こうと思ったら、雪のため行けなかった。
何でもあの地方は豪雪地帯で一冬に6mも積もるらしい。

今年になって雪が融け、用事を片付けて黒姫に向かったのは、2005年6月の末だった。
梅雨の最中だったが、7月からは又山のシーズンだ。

6月28日(火)、妻と我が愛車CRVに乗って、枚方東から高速に乗り、信濃町ICまで運転時間約4時間半、休憩を入れて約6時間で現地に入った。



黒姫温泉旅館あすなろ 黒姫温泉旅館あすなろ












釣堀釣堀












ヤマボウシの白い花ヤマボウシの白い花
















雨も降っており、夕方になっていたので、現地を見ただけで黒姫は山桑にある 「黒姫温泉旅館あすなろ」に入った。
この旅館はこの周りで最も古い旅館だったが、シーズンはずれの為か泊り客は我々夫婦だけだった。




6月29日(水)、新潟県での集中豪雨がテレビで報じられ、ここ黒姫も雨模様だった。
朝食時、女将さんの松木幸子さんと色々世間話をした。山桑には松木姓ガ多く、出身は三河でもともとは松平だったとのこと。
「それでは徳川家康と親戚だったのでは?」と言う問いかけに、「昔は士族だった」との返事。
又、C・W・ニコルさんのことも良く知っていて、彼と一緒に森を作っている松木さんは親戚とのこと。
又食堂の壁に懸かっている山々の絵は画家「松木重雄」でやはりここ山桑出身の人らしい。
私の黒姫の森はここから車で数分の高沢にあるので聞いてみると、「あの高沢の東北電力高沢発電所から上の林道は熊(ツキノワグマ) の出没地帯」とのこと。又、「黒姫高原から 苗名滝へ行く、信濃路自然歩道は現在土砂崩れで通行不可。良く新聞で山菜取りの人が熊に襲われたと記事に載っているのは、その自然歩道のこと。」
又、 地雷也の洞窟は私の森の直ぐ裏にあること。
色々教えてもらってはっきりしたことは、私の「かわせみ黒姫の森」はまさしく熊のメッカだということだった。
日本における自然が今でも残っている場所は、動物界の頂点にある、熊や鷲(オオタカ等)が生存している場所らしい。
その意味で私の住んでいる生駒の高山にはオオタカが生存しており、ここ黒姫の森では熊が生存しているとはラッキーというべきか。
上月の森では猪や鹿が生存していることを考えれば、我がかわせみ農園の関連土地も捨てたものでは無い。

朝食を終え、小雨になったので我が黒姫の土地に出かけた。
朝の話があったので、注意深く林道を運転した。もし熊が飛び出しても轢かないように、又直ぐに逃げれるように。
妻と私は雨具を付け、腰に熊除けの鈴を付けて森に踏み込んだ。最初はエンジンの草刈機を持って入ったが、邪魔になるので草刈機を仕舞い、剪定バサミだけを持った。最悪熊に出会ったら、熊を睨み付けながら後ずさりし、一目散に逃げねばならないが、もし突発的に遭遇すればこの剪定バサミだけが武器か。
まず敷地境界を確認すべき森に踏み込んだが、繁った雑草と雑木で境界杭は確認出来ない。取りあえず磁石で南の谷川に出るように歩いた。



黒姫の森の倒れた白樺 黒姫の森の倒れた白樺














シダやショウジョウバカマの群生地を発見しながらやっと谷川に出た。途中に白樺林もあった。剪定バサミで下草や小枝を落としながら、川沿いに進んだ。これ以上進めば帰り道が分らなくなると思い、林道に戻るべく磁石で北向いて歩いた。ジャングルのようだった。
やっと明るい杉林に出たと思い、ほっとしたらなんと杉の木の根元がめくれているではないか。その跡もつい先ほどめくったような感じだった。自信はなかったが私は直感的に「クマハギ」と感じた。2m程先の杉の木も同じようにめくれていた。思わず周りを見渡した。誰かに(熊か?)見られているようだった。


ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ) ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ)












ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ)ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ)












ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ) ま新しい「クマハギ」(急いで逃げた為3枚ともピンボケ)














妻と私はこれ以上未知の道を進む勇気を持っていず、今通って来た道を、走らずに回りを確認しながら戻った。
およそ1時間半の冒険だった。
それから昼まで林道側の車の見えるところで草刈等仕事をした。



黒姫の森の杉林黒姫の森の杉林












黒姫の森は車の右側一帯 黒姫の森は車の右側一帯












黒姫の森は車の右側一帯 黒姫の森は車の右側一帯














昼ごはんは近くのそば処「たかさわ」で限定十割そばを食べた。
店の人にクマハギのことを話すと、「この辺では普通に熊を見かけるよ。つい先日もこの庭先を横切っていた」とのこと。
むしろ最近は「猿が出没していたずらをする」と猿の方が話題になっていた。
ここ黒姫には鹿や猪は居ないらしい。豪雪地帯であるが故に、鹿や猪は冬を越せないみたいだ。



昼から水清き神の郷「戸隠」を訪問した。
私はここの戸隠牧場から100名山の「高妻山」に登ったことがある。しかし、霊山として全国に知られた山岳信仰の戸隠神社等は訪れたことがなかった。



C・W・ニコルの事務所C・W・ニコルの事務所












鳥居川 鳥居川












信濃町は昔「柏原」と言い、一茶のふるさとだ。昨年来た時は、一茶関係の遺跡やナウマン像の野尻湖等を見学していた。
C・W・ニコルが保存に協力した「閉貞桜」を見、鳥居川沿いのC・W・ニコルの道場兼事務所を見学し、「アファンの森」を覗き、県道戸隠線(通称もろこし街道)を西に向かって走らせた。



C・W・ニコルの「アファンの森」入り口 C・W・ニコルの「アファンの森」入り口












C・W・ニコルの「アファンの森」 C・W・ニコルの「アファンの森」












C・W・ニコルの「アファンの森」C・W・ニコルの「アファンの森」















奥社や中社を見学したが、戸隠民族館の「忍者カラクリ屋敷は」は本当に面白かった。中には入ったが出れなくなった。部屋の掛け軸の裏の隠れ戸は映画でお馴染みだが、一面の壁がひっくり返ったり、二重の扉は分らなかった。最後は座敷牢に辿り着き、そこからどうしても出れなかった。係りの人に頼んで秘密の抜け道を教えてもらった。




戸隠神社前で 戸隠神社前で















妻がラベンダーを見たいと希望したので、斑尾山麓のタングラムに行ったが未だ時期的に早かった。
今夜の宿は、昨年泊った斑尾高原の「アネックス アブラヤ」にした。やはり今日も我々夫婦だけだった。風呂場が工事中ということで「まだらおの湯」という温泉に連れて行ってくれた。ここの食事は夕食も朝食も食べきれないぐらいに多かった。メインデッシュが数種類もあった。
朝食に到っては和食と洋食が二つともあり、主として妻は洋食、私は和食となった。オーナーの夫婦は親切で妻はリンゴジュースを1本まるまるもらっていた。

6月30日(木)、夜半は雨が激しく降っていたが、朝方は小ぶりとなり、出かける時は薄日もさしていた。
今日の作業は林道沿いの杉林の下草刈りと雑木の伐採だ。又、椅子にする為直径50cmの杉を玉切にした。
愛犬ダンのこともあり、昼過ぎに信濃町ICに入り、梓川SAで昼食を食べ、夕方には家に戻った。




黒姫の森前の4m道路 黒姫の森前の4m道路












黒姫の森の杉林黒姫の森の杉林












黒姫の森黒姫の森












愛車 愛車












黒姫の森黒姫の森















帰ってからインターネットで熊のことを調べてみれば、あれは正しく「クマハギ」だった。
季節は6月から初夏、杉が圧倒的に多い。山側の皮を1.5mぐらい剥いてその形成層を食べるらしい。食物の不作の年に起こるとのこと。
マーキングという説もあり、本当の理由は分らない。熊の痕跡は糞や足跡の外に、木につける爪痕、木の上に残す「クマダナ」等がある。
インターネットに載っていた「クマハギ」の写真は、私たちが遭遇した「クマハギ」とそっくりだった。





終わり

(記述日:2005.7.5)
(掲載日:2005.7.7)








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