『上月の森』への旅
平成8年1月13日〜15日、3日間の連休の為、13日と14日の2日間は『上月の森』へ妻と2人で行くことにする。
『上月の森』は兵庫県の西端にあり、清流と鮎の千種川に接し、尼子一族の終焉地として知られている上月城址の近くで部落の里山(裏山)である。
八幡神社のある小山の東側に広がっている谷(ヴァリー)にあり、桧の植林地と雑木林の土地である。将来ここにクラインガルデンの里や桧を使ってのログハウス等、私の夢を与えてくれる場所でもある。手に入れてかなりの年月が経つが、まだ森の輪郭が掴めない。
13日朝10時過、我が家を出発、中国自動車道の佐用インターで降り、20分程で『上月の森』に着く。約2時間半の行程だ。
先ず八幡神社に参拝し、参道に車を停め、桧林の横の階段を降り、田圃を詰め用水池まで行く。ここから上の森が我が敷地だ。池が倍ほど大きくなっていたが、敷地境界がどうなっているか、とんと分からない。
池から少し登った雑木林の日当たりのよい場所で、妻が作った弁当を2人で食べる。
今日の作業は敷地境界の確認と、小さな小屋でも建てれる平地の調査だ。
先ず前回作った小道を30mほど進むが、直ぐに方向を見失う。磁石で北を目指し、薮を漕いで、しゃにむに登る。
やっと見覚えのある小道に出る。この小道は敷地の北側の尾根に沿った道で、東に向かって登って行く。
途中、妻はさるなしの赤い実やドングリを拾って行く。円弧滑りの崩壊跡への分岐点に着く。この前、ここで斜めに行かず、真っすぐに進んだため、南光町の多賀に降り、妻や子供達に心配をかけた。
この周りを桧と大きな落葉樹を残し伐採する。10坪ぐらいの平地ができる。ここから崩壊地まで約20mほどだ。
崩壊地には小さな松が沢山生えていた。比処に成長の早い栗の木を植えたらどうか考えてみよう。
戻って境界沿いに尾根筋を東に進む。かなりの急な登りだ。敷地には大きな桧が数多くあった。頂上付近が境界の端だったので、比処も伐採して平地を作る。
この境界点には、埋め石が埋まっている。埋め石とは民・民境界に埋める20cmぐらいの丸い石だ。
頂上から西に向かって降りて行く。
所どころに埋め石があった。敷地境界を一周するのに約1時間かかったことになる。
今日の作業で大体の境界が分かり、また、平地もところ所出来たので満足だ。妻は腰と腕が痛いと言っているが、それなりの満足顔だ。
今夜の宿は笹ケ丘公園のトロン温泉があるログハウスだ。
上月町立の『笹ケ丘荘』は千種川の右岸にあり、久崎温泉郷『円光坊』の川向かいだ。ログハウス『どんぐりの家』の2階『もみじ』が今夜の宿だ。4人部屋で12000円で自炊出来るよう全ての設備が整っている。
トロン温泉に入って、笹ケ丘荘で夕食をとった。今夜は我々2人だけで貸し切りだ。
翌朝、温泉に浸かり、和食の朝食をとる。
上月城址に初めて登る。急坂を30分程かかって、3の丸・本丸・2の丸と確認する。うっすらと雪で白くなった古城跡に佇めば、尼子一族の無念さ、山中鹿之助の悔しさが伝わって来るようだ。
杉坂史跡と大撫山の西はりま天文台を覗いて佐用に戻る。佐用では金蔵の6地蔵、宮本武蔵決闘の場、古い宿場町の平福、利神城の石垣を見て佐用インターより中国自動車道に乗る。
妻と2人の非常に楽しい上月への旅だった。
終わり
(記述日:1996.1.18)
(掲載日:2003.2.18)