浅間山への軽井沢の旅(1995.10.25〜10.29)




姉の義母が1995・10・25に癌の為,83歳にて亡くなった。通夜・告別式参列の為,妻25日夕来京する。
予定通り28日朝7時30分,妻と二人で上野を発ち,9時6分中軽井沢に着く。
駅レンターカーでカローラを借りる。浅間山目指して,浅間白根火山ルートを北上する。
万山望で展望を欲しいままにして,峠の茶屋で右折して,白糸の滝に寄る。苔むした岩肌から浅間山の伏流水が流れている。軽井沢を流れる湯川の水源にある滝。焼き岩魚が旨かった。

浅間山は標高2568m,有史以来噴火を繰り返す日本の活火山の代表のひとつだ。
記録に残る最も被害の大きかった噴火は,1783(天明3)年のものだろう。『鬼押出し』はこの時の溶岩流が冷え固まったものだそうだ。噴火の激しさを今に伝える,この景観はまさしく火口で鬼が暴れ岩を押し出した感じそのものだ。
妻は浅間高原に植生する約100種の高山植物にワクワク。私は目の前の浅間山はもちろん,見晴らし台からの大眺望に我を忘れて眺め入る。目の前に本白根山とあずま山がある。この前登った谷川連峰がかすかに見え,その右側に至仏山・武尊山・男体山がある。苗場山まで見えるではないか。あずま山と桟敷山の間に,白くなった北アルプスまで見えた。白馬岳・鹿島槍〜〜〜〜〜〜。

昼食後,軽井沢の鹿鳴館と云われる旧三笠ホテルを訪ね,日没の美しい碓氷峠にて群馬と長野の山々を堪能した。
峠を下りて旧軽井沢を散策し,幸福の谷を通って,万平ホテルで喫茶した。

夕暮れ迫る中,カラマツや白樺で囲まれた『スワンレイク』の名で親しまれた雲場池を一周した。
M物産軽井沢寮で泊まり,翌朝8時30分に浅間山西側の高峰高原に向かった。
小諸から車で登り,30分程で標高2000m近くの車坂峠に着いた。寒かった。ここは浅間山の外輪山・黒斑山と高峰山の鞍部に位置し,黒斑山まで歩いて1時間20分らしい。1人なら歩いて登ってしまうが,今回は妻との軽井沢散策の為,次回の楽しみに取っておく。
展望はそこそこ良かったが,霞みがかって富士山が見えなかった。妻が残念がる。

小諸駅で車を返し,駅前でモーニング・コーヒを飲む。萬屋骨董店を冷やかし,旧本陣を見て,藤村のあの古城ある懐古園へ向かう。 古城跡を散策し,千曲川を臨み藤村を想う。

『小諸なる古城のほとり,雲白く游子悲しむ。・・・・・・・・・』

藤村記念館・郷土博物館・徴古館を巡り,小山敬三美術館で『浅間山新雪』を買う。南千住の部屋に飾っておこう。
懐古園の門前で,信州ソバを口にする。なかなか旨い。

午後2時15分の特急に飛び乗り,自由席が満員の為,指定席で帰る。
東京駅二人で晩飯を食べて,妻が大阪へ帰るのを見送る。
楽しく充実した二人の『浅間山への軽井沢の旅』だった。


終わり
(記述日:1995.10.30)
(掲載日:2003.2.18)








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