古都鎌倉(1997.2.11)




平成9年2月の初旬、単身赴任で東京へ来て初めて古都鎌倉を訪れた。
東京から1時間ばかりで行けるというに、何故今まで足が向かなかったのか。
奈良・京都の古さ・歴史に堪能していたというのか。なんとなく行きそびれていたと言うしかしょうがない。

大船で所用があったので、ついでといってはなんだが鎌倉を散策することにした。
横須賀線の鎌倉駅で下車、東出口前の鳥居を潜って賑やかな土産物屋の道を鶴岡八幡宮へ向かって歩く。
浅草のような喧騒とした雰囲気でなく、やはり古都らしくしっとりとした落ち着きがある。来て良かったと思う。

源の頼義が奥州平定の際、京都の石清水八幡宮を勧請したのがはじまりといわれる。
鎌倉に本拠を置いた源頼朝は1191年社殿を造営して守護神とした。
その鶴岡八幡宮の入口に源平池と言う二つの池がある。東の池を源氏池といい島を三(産)つ作り、産(うむ)につながるめでたい池とした。西の池を平家池といい、島を四(死)つ配し、死(し)につながる不吉な池とした。

頼朝の妻政子は、東の小島に弁天財を設け、夫頼朝の戦勝を祈願したと言う。
この源平池のほとりにぼたん庭園がある。春に花咲くぼたんであるが、ここのは雪のちらつく冬に咲く「冬牡丹」だ。
華麗な華やかな牡丹も良かったが、庭内の竹垣や石組みに興味を覚えた。我が家の破竹で自作の竹垣を作り、奈良の庭をこのように手入れしょう。きっと妻が大喜びするだろう。
道の両側にある土留め石の上のヤブランは牡丹を植えて有る腐葉土が雨で流されるのを防いでいる。
緑の縁取りという美観だけでなく実用もかねていることに感心する。

本宮の前の階段途中に樹齢1000年の大イチョウがある。野生のリスが走り回るのどかな眺めだ。
ここで800年前、実朝を撃つべく公暁が隠れていたとは。 骨肉の争いによって暗殺された実朝。北条の陰謀とも言われている。

舞殿は、静御前が義経を偲んで「しずやしず しずのおだまぎ くりかえし むかしをいまに するよしもがな」と詠った場所だろうか。
頼朝の墓・大江広元の墓に参り、荏柄神社を覗き、大塔宮護良親王を祭ってある鎌倉宮へ向かった。
建武の中興に功あった親王、楠木正成と共に戦った親王だが、足利尊氏によって捕らえられ、ここのこの場所の土牢に9ヶ月幽閉された後、暗殺されたそうだ。
薄暗いやぐらに作られた土牢だった。

寒くなってきたので、若宮大路を通って駅へ向かい、駅前で一杯飲んで帰った。
今回始めて鎌倉のよさに触れた気がする。今度は妻と一緒にゆっくりと訪れたいものだ。


終わり

(記述日:1997.2.11)
(掲載日:2003.2.14)








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