1996年の新年は富士五湖への家族旅行とした。
1995年12月28日,正午よりの『御用納め』で一杯飲んだ後,6階の営業総本部の応接セットで更にお別れ会をした。
大阪に帰る旨を皆に告げて,東京駅に向かう。
東生駒駅前の妻が借りているガレージで,午後7時過ぎに妻と待ち合わせた。
夕飯は牡蛎を焼いて,レモンで食べた。美味しかった。
29日は朝から娘と大掃除,昼から娘のスキー道具を見に淀屋橋の『美津濃』へ行く。手袋をプレゼントする。
高かったが娘の喜ぶ顔とはしゃぎ声で良かったと思う。
妻の勤めるM物産が中ノ島の社屋を建て替えるため,つい先だって南港に引っ越しした。
見晴らしが良く,息子が徳島より天保山に着くため,又,妻が29日までの勤めの為,ここWTCの48階で家族揃ってバイキングを食べることになった。
運転免許をやっと取った息子とは,夏以来の半年ぶりの再会だ。さすがに懐かしく,元気そうな様子にホット安心する。
夜景の奇麗なレストランでの美味しい食事,久しぶりの家族揃っての会話。貧乏ぐらしの息子は早いピッチで食べたため,いい匂いのステーキに手が出ず残念そう。
家に帰って,息子の運転練習をするため,助手席に乗って,住宅内をぐるぐる回る。
30日は台所の大掃除,夜は『京阪奈丘陵の動物たち』の野鳥編をワープロで打つ。
31日は庭の木々の剪定,夜は皆でセブンブリッジをして楽しむ。紅白を見て,除夜の鐘を聞く。娘は春日野大社での初詣での為,夜遅く出掛ける。
1996年(平成8年)1月元旦,朝皆でお雑煮とおせちを食べる。皆それぞれ1年の抱負を述べる。私は20山の100名山登山とコンピューター。
年始に妻と二人で,私たちの仲人であるK宅へ伺う。25年間のわが家の元旦の行事になってしまった。1時間程で引き上げる。
庭の池前で家族の記念撮影をして,レミーとダンの2日分の餌と水を用意して,午後2時頃、家族そろって休暇を東京で過ごす為出発する。途中,高山八幡宮にお参りする。
新幹線ではおせち料理でおにぎりを食べ,トランプをする。
午後8時頃,南千住の我が城に着く。わいわいガヤガヤまるで修学旅行の様だ。布団の上でまたもやセブンブリッジをする。最近は妻や子供達が熱心だ。
2日朝,皆で浅草の浅草寺にお参りする。お茶の水のスポーツと楽器の町を冷やかして,高速バスに乗るべく新宿に向かう。
新宿で回転寿司を食べる。
午後2時半出発,2時間で山中湖に着く。迎えの車でホテル・ラフォーレ山中湖へ行く。
夕食はコース料理で美味しかった。娘と息子はテニスに行く。夜は又トランプ,私は途中で寝てしまう。
朝食はバイキング,9時半迎えのタクシーで出発。当初『忍野八海めぐりコース』でバスで帰る予定だったが,帰郷ラッシュで高速が渋滞と読んで,値段は高いが『富士五湖と白糸滝めぐりコース』に変更する。
三国峠のパノラマ台,ママの森,ハリモリ純林を通って忍野八海へ行く。
山中湖付近は曇っていたが,忍野に近付くにつれ,晴れてくる。それにつれて富士山がはっきりと神々しいばかりの姿を見せ出した。
家族揃って大感激。忍野八海は神秘的だった。会社の友がぜひ一度行きたいと言っていたが,まさしくその値打ちはあると思った。
30分程散策して,河口湖から西湖へ向かう。
途中,青木ケ原樹海の天然記念物富岳風穴を覗く。ひんやりした洞穴,氷で滑りやすい道,ぶら下がるツララ。どこまでも続く苔むした樹海。初めて見た富士山の風穴や樹海は感激だった。
精進湖でほうとう弁当を食べた。凍りつつある湖の向こうに見える子持ち富士は又それなりに美しかった。
本栖湖の横を通り,朝霧高原を経て,白糸滝を見物した。
我々家族の精進が良いのか,青空をバックの富士山は色々な顔を見せてくれた。白く化粧した富士はやはり日本一の名山と再認識する。今年の夏,娘と二人で登ることを約束する。
新幹線の新富士駅で妻と子供達は大阪へ,私は東京へと別れる。
家族揃っての久しぶりの旅行,堪能した富士山,今年は何か良いことがあると予感させる1996年の正月だった。
終わり
(記述日:1996.1.7)
(掲載日:2003.2.12)